雨あがりの公園で車椅子を押しながら、ふと頭上をかすめたカワセミの青に息をのみました。「もしオーデュボンが今ここにいたら、どんなスケッチを残しただろう?」――そんな素朴な疑問から、僕の“鳥オタク散策”はスタートします。
鳥の躍動感を紙の上に封じ込めた伝説の画家ジョン・ジェームズ・オーデュボン。実は彼の人生は、青空のように澄んでいたわけではありません。革命の揺れ動くカリブ海に生まれ、若き日の借金で投獄寸前……。それでも羽ばたき続けた人間ドラマこそ、彼の絵に宿るエネルギーの源。
今回は、オーデュボンの生い立ちから絵の特徴まで語り尽くします。
ジョン・ジェームズ・オーデュボンの生い立ちとは?
1785年4月26日、現在のハイチ・サン=ドマングで誕生。父ジャンはフランス海軍の船長、母はクレオール系の女性でしたが病で早世。幼いジョンはフランス西部ナントへ送られ、継母アンヌに“ジャン=ジャック”として育てられます。
ナントの湿地で観察したフラミンゴやカモメが、少年の心に「飛ぶものへの憧れ」を植え付けたとか。
20歳でアメリカへ渡った彼は、“ジョン・ジェームズ”と名を英語風に改め、ペンシルベニアの田舎町で鉛鉱探査や商店経営に挑戦。しかし経営はうまくいかず破産。さらに1812年戦争の混乱で一時収監されるなど、とにかく波乱万丈。
それでも鳥への情熱だけは手放さず、森に入ってはスケッチ帳を埋め、標本を作っては妻ルーシーに怒られる日々。30代半ば、銀行破綻ですべてを失った瞬間でさえ、「鳥を描く旅に出るチャンスだ」と笑ったという逸話があります。
ジョン・ジェームズ・オーデュボンの絵とは?
代表作は何と言っても**『アメリカの鳥類(Birds of America)』**。1830年代にロンドンで出版された巨大フォリオ版は、高さおよそ1メートル。ページというより“等身大ポスター”です。
彼は一羽一羽を実物大で描くため、沼地で濡れ鼠になりながらも、鳥の死骸に針金を通して自然なポーズを再現。その場で水彩とグアッシュを重ね、後に銅版画家ハヴェルがエッチングを担当しました。
旅費を稼ぐため、彼はしばしばイギリス紳士の前で即興デッサンを披露。「目の前で鳥が飛び出すようだ!」と評判になり、パトロンを獲得。結果として435図版、約700種を網羅する空前絶後の図鑑が誕生します。
ちなみに現存部数は120セット未満。競売では1セット10億円を超えたこともあり、“世界で最も高価な本”の常連です。
ジョン・ジェームズ・オーデュボンの絵の特徴とは?
等身大スケールの迫力
小さなハチドリは羽音が聞こえそうな繊細さ、大きなロイヤル・イーグルは紙面をはみ出す勢い。ベッドサイドでページをめくると、本当に鳥と目が合うんです。
自然なポーズの追求
当時の博物図版は側面図が主流でしたが、オーデュボンはあえて狩りの瞬間や求愛ダンスを切り取ることで、“生きている姿”を定着させました。
ドラマティックな背景
彼の鳥たちは必ず風景とセット。霞むミシシッピ川や折れた流木が、鳥の物語性を高め、鑑賞者をその場の旅人にします。
科学と芸術の融合
羽毛の色彩や翼の比率は、標本測定と顕微鏡観察で裏付け。だからこそ美術ファンも鳥類学者も彼に首ったけなのです。
最後に
段差の多い街を車椅子で移動していると、視線が自然と低くなり、道端のスズメや路地裏のツバメの巣に気づきやすくなります。そんな“鳥目線”の生活が、僕とオーデュボンを不思議に近づけてくれている気がするのです。
彼の人生は華麗な成功物語ではなく、倒れては起き上がる連続。けれどページを開けば、鷲もミソサザイも、みんな胸を張って風を切っています。
「羽ばたく力がないなら、羽ばたく姿を描けばいい」――失敗続きでも筆を握り続けた彼の背中は、今日も僕のハンドリムを前へ押してくれる。次に鳥のさえずりが聞こえたら、スマホ写真を撮る前に、ぜひ一度クロッキー帳を開いてみてください。
そこに生まれる一筆こそが、あなた自身の『Birds of Somewhere』の第一ページになるかもしれません。
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