雨が降る朝、車椅子の上で目を覚ますと、私の目の前には壁に掛けたアンゼルム・キーファーの作品集のページが開かれていました。ずしりとした色と質感の中に、戦争の灰が散りばめられ、鉄の重みと鉛の冷たさが伝わってくるその絵は、私に「生きるとは何か」を問いかけてきます。
正直、私は美術の専門家ではないし、絵を見て難しい言葉を並べることはできません。ただ、車椅子で過ごす日々の中で、自分の視線の高さで見つめた絵の重みが、キーファーの絵だけは忘れられなくなるのです。
アンゼルム・キーファーは、戦争の記憶、歴史の闇、そして再生の可能性を描く画家として知られています。その絵は一見すると廃墟のようでありながら、灰の中に小さな命の芽を感じさせる不思議な力を持っています。
生きることは思い通りにならないし、失ったものを数え始めたらきりがない。それでも、もう一度立ち上がって未来に向かう力を、私は彼の絵から教わってきたような気がします。
アンゼルム・キーファーの生い立ちとは?
アンゼルム・キーファーは1945年にドイツのドナウエッシンゲンという町で生まれました。終戦の直後に生まれた彼の幼少期には、まだ街のあちこちに戦争の傷跡が残り、灰色の空気が満ちていたそうです。
子どもの頃から歴史や神話に強く興味を持ち、文学作品にも多く触れて育ったといいます。建築を学び、後に美術に転向した彼は、ナチスの過去を直視しながら、自らのアイデンティティを探し続けました。
私自身も過去に縛られることがあります。足を動かせなくなった日のことを思い出すと、もう前には進めないんじゃないかと感じてしまうことがあるのです。
でも、キーファーがドイツの戦争責任という重たいテーマを絵で描き続けたように、私も自分の痛みを見つめながら、今日という日を一歩ずつ過ごすことしかできません。
アンゼルム・キーファーの絵とは?
アンゼルム・キーファーの絵は、油彩に灰や藁、鉛、砂などを混ぜ込み、キャンバスの上に貼り付けたり焼き付けたりして作られています。荒々しく割れた絵肌や黒ずんだ灰色の色彩は、まるで廃墟のようで、初めて見たときは「怖い絵だ」と思ったのを覚えています。
しかし、何度も見ているうちに、瓦礫の隙間から生える小さな草や、黒い空に差し込むわずかな光のような希望が見えてくるのです。
代表作には「マーガレット」や「オペラのための絵画」などがあり、聖書やドイツの詩、神話などをモチーフにしながら、戦争の悲劇を記憶し続ける重厚なテーマが貫かれています。
鉛で作られた本の彫刻作品を初めて画像で見たとき、私は思わず息を呑みました。鉛の重さで本が閉ざされているようでありながら、その本が確かにそこに「記録されている」ことに意味があるように思えたのです。
アンゼルム・キーファーの絵の特徴とは?
キーファーの絵の特徴は、物質としての「重さ」が感じられることだと思います。灰や藁を貼り付け、絵具がひび割れ、鉛が重力で垂れ下がることで、絵が単なるイメージではなく現実の破片として存在しているように感じられます。
彼の作品に触れると、自分が生きている現実の世界の空気や重さ、冷たさまでが伝わってくるようで、私の車椅子の車輪の軋む音が絵の中の金属のきしみと重なる瞬間があります。
キーファーは「芸術は慰めではなく、真実を伝えるものだ」という考え方で作品を作り続けているように思えます。その真実はきれいごとではなく、灰や廃墟の中から希望の芽が出るまでの苦しみの過程そのものなのです。
最後に
アンゼルム・キーファーの絵を見るとき、私は「破壊」と「再生」を同時に感じます。戦争の灰の中から何を見つけるか、自分自身の失ったものの中から何を育てていくのか。
生きることに答えは出ないけれど、その問いを持ち続けることこそが生きることなんじゃないかと、彼の作品を前にするたびに思うのです。
キーファーの絵は決して癒しの絵ではないかもしれません。それでも、その絵はいつも私に「問いかける力」を与えてくれます。生きることに疲れたとき、前に進めなくなったとき、もう一度立ち上がるきっかけを探すときに、彼の灰色の世界をそっと覗いてみるのもいいかもしれません。
そのとき、あなたの目にも小さな芽吹きの瞬間が見えるかもしれません。
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