部屋の壁に飾られた一枚の絵を見つめていたときのこと。階段が天井へと続き、その天井の先にまた床があり、人物が上下左右に歩いている――なんとも不思議な感覚に包まれた。
まるで、夢の中に迷い込んだような錯覚。けれどその絵は、紛れもなく物理的な紙の上に描かれたものだった。私はその時初めて、マウリッツ・エッシャーという名前を知った。
エッシャーの作品には、理屈では説明できない世界が広がっている。けれど、観る者の心にはしっかりと「何か」が残る。これはただの幻想絵画ではない。数学や幾何学、哲学までも巻き込んで、我々の知覚の限界に挑んでくるような、そんな強烈なインパクトがあるのだ。
今回は、その不思議な世界を創り出した画家、マウリッツ・エッシャーの生い立ちから絵の特徴まで、私なりの視点で語ってみたいと思う。
マウリッツ・エッシャーの生い立ちとは?
マウリッツ・コルネリス・エッシャー(Maurits Cornelis Escher)は、1898年にオランダのレーウワルデンで生まれた。父親は土木技師という理系の職業についていたこともあり、エッシャー少年も幼いころから論理的な考え方に親しんでいたようだ。
ただし、学業成績は必ずしも良かったわけではなく、特に数学には苦労していたとも言われている。
ところが、彼には独自の美的感覚と観察力があった。10代になると芸術の道に進み、ハールレムの建築装飾学校に入学。ここで木版画や石版画といった印刷技術を学び、やがてそれが彼の表現の中心となっていく。
旅好きでもあった彼は、イタリアやスペインを巡り、特にアルハンブラ宮殿のイスラム幾何学模様に心を奪われたという。後年の彼の作品に見られる、繰り返し模様や対象の変形といった要素は、この頃の体験が深く影響しているのだろう。
マウリッツ・エッシャーの絵とは?
エッシャーの絵を一言で説明するのは難しい。だが、あえて言うなら「現実と非現実の融合」とでも呼ぶべきか。彼の作品の多くは、建物や自然、人間といった具象的なモチーフを使いながら、空間や視点の概念を根底から揺るがすような構造を持っている。
例えば有名な《相対性(Relativity)》では、重力の方向が絵の中で何度も変わり、どこが上でどこが下なのか分からなくなる。階段を登っているはずの人物が、次の瞬間には壁を歩いているように見える。まるで視覚のパズルだ。
また《滝(Waterfall)》では、水が常に上から下に流れているように見えるのに、構造をよく見るとそれが永遠に循環しているようなトリックになっている。見る者に“錯視”を引き起こさせるこのような構図は、彼が生涯にわたって追求したテーマの一つである。
そしてもう一つ、エッシャー作品の魅力は「変化」や「連続性」にある。《メタモルフォーゼ(Metamorphosis)》シリーズでは、一つの形が隣の形に自然に変わっていき、終わってみるとまったく異なる世界が描かれている。
これは、日常の連続と変化を象徴しているようでもあり、どこか禅の思想にも通じるような深みがある。
マウリッツ・エッシャーの絵の特徴とは?
エッシャーの作品には、以下のような際立った特徴があると私は思う。
1. 幾何学的構造と対称性:
彼の絵の多くには、数学的に精密な構造がある。対称性や繰り返し模様(テセレーション)は、数学者たちの間でも研究対象になるほど。実際、彼の図像は後に数学教科書に引用されたり、数学者との交流によって新しい表現が生まれたりもしている。
2. 錯視の技術:
エッシャーは「目の錯覚」を利用し、現実にはあり得ない三次元空間を、あたかも可能であるかのように描き出した。《上昇と下降(Ascending and Descending)》に登場する階段は、永遠に回り続ける構造の代表例だ。
3. 静寂の中の動き:
不思議なのは、彼の作品にある“無音の動き”だ。音はしないが、確かに動きがある。あるいは動きが止まっているようで、実は何かが変化している。そういう静謐な緊張感が、彼の絵からは漂ってくる。
4. 手法のこだわり:
エッシャーは主に木版画やリトグラフを用いて制作しており、その手作業には驚くほどの精密さが求められる。一枚一枚の線には、計算され尽くした秩序と、芸術家としての“遊び心”が共存しているように感じる。
最後に
私はプロの評論家ではないし、数学にも詳しくない。だけど、マウリッツ・エッシャーの絵を見ていると、自分の中にある「見方」や「考え方」が変わっていく気がする。これは単なる視覚芸術ではない。哲学であり、パズルであり、もしかしたら人生そのものを映す鏡かもしれない。
どんなに科学が進歩しても、私たちの「見る」という行為には、まだまだ未知がある。エッシャーはそのことを、半世紀以上も前に作品で伝えてくれていたのだと思う。
現実と幻想の境界線に立ち続けたエッシャーの視点は、今もなお、私たちの心に問いかけてくる。「この世界、本当にそう見えている通りなのか?」と。
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