北欧が誇る光の魔術師・アルベルト・エデルフェルト――生い立ちから名画の秘密までやさしく解説!

え行

 
 
窓辺に差し込む午後の光を浴びながら、私は今日も車椅子のキャスターを静かに回しつつキーボードを叩いている。ふと壁にかけた小さな複製画に目をやると、柔らかな金色の光をまとった子どもの頬がこちらを見つめ返してきた。

北欧フィンランドが生んだ画家 アルベルト・エデルフェルト――19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍し、その“光彩の捉え方”でヨーロッパの美術界を驚かせた才能だ。

今日は、車椅子生活の私が日々感じる「動きにくさ」や「視点の高さの違い」を通して見えてくるエデルフェルトの魅力を、やわらかい言葉でじっくりお届けしたい。

 

アルベルト・エデルフェルトの生い立ちとは?

 

エデルフェルトは1854年、フィンランド南部ポルヴォー近郊の小さな町キュミネミに生まれた。父は建築技師、母は文化に造詣が深く、幼いアルベルトに絵筆を握る楽しさを教えたと伝えられる。

13歳のとき父を亡くすものの、母の後押しでヘルシンキ大学の美術工芸学校へ進学。そこで基礎を固めた後、ロシア帝国の都サンクトペテルブルクを経由し、芸術の都パリへ渡る。

この頃のパリは印象派旋風の真っただ中。サロンを中心に伝統的な写実から新進気鋭の光の表現まで、絵画の潮目がうねる時代だった。エデルフェルトはアカデミックな技術を重んじつつも、街角に溢れる陽光を大胆にキャンバスへ写し取る方法を体得していく。

異国で奮闘する姿を想像すると、遠く日本で車椅子を操る私も「境界を越える勇気」を分けてもらえる気がするのだ。

 

アルベルト・エデルフェルトの絵とは?

 

彼の代表作としてまず挙げたいのが《ルイ16世の娘、エリザベート王女》(1881)。処刑された父母を悼むかのように祈る少女の横顔。その頬に射す朝の光はほの温かく、悲劇を包み込む優しささえ感じさせる。


 
 

同年に描いた《パリの船着き場》では、セーヌ川のきらめきが絵具の粒子ひとつひとつに息づき、観る者を川風の中へ誘う。また、故郷フィンランドを描いた《ケサンの少女》(1889)は、広々とした麦畑と北欧特有の澄んだ青空が爽快で、どこか日本の初夏の田園をも連想させる。

エデルフェルトは歴史画・肖像画・風俗画を縦横に行き来しながらも、常に「今そこにある光と空気」を主役に据えた。

 

アルベルト・エデルフェルトの絵の特徴とは?

 

光と影のバランス感覚
 印象派的な筆触を取り入れつつ、人物の骨格や布の皺は綿密に描き込む。光が当たる面は柔らかくハレーションを起こし、影の部分では温度を帯びたグレーが微妙に混色される。その温冷のグラデーションがモチーフに立体感を与え、画面全体を呼吸するかのように見せる。

物語を感じさせる構図
 例えば《秋の午後》(1892)では、ベンチに座る婦人と背後の落葉林が斜めの対角線で結ばれ、視線が自然に画面奥へ滑り込む。静かな構図だが、時間の移ろいと季節の匂いがじわりとにじむ。

北欧とパリのハイブリッド色彩
 北欧の長い冬を知る画家だからこそ、短い夏の透明な光を愛おしむ目線がある。一方で、パリ仕込みの華やかなカラーパレットも併せ持ち、くすみのない淡黄や柔らかなバイオレットが画面にリズムを生む。そのミックス感覚が「国際派フィンランド人」と呼ばれた理由だろう。

視線の高さの工夫
 エデルフェルトの人物画では、座った子どもや屈む農婦の目線と観る側の目線が自然に合うよう設計されている。私自身、車椅子で過ごしていると、立っている人との“視線の差”を意識しがちだが、彼の絵はその差を穏やかに埋めてくれる。

キャンバスの中で目が合った瞬間、「あ、友達ができた」と思わせてくれるのだ。

 

最後に

 

アルベルト・エデルフェルトの作品を前にすると、私はいつも「光は境界を越えて届く」という当たり前の事実を新鮮に思い出す。国境も、身体の状態も、時代さえも、柔らかい光はするりと乗り越えて私たちを包む。彼の筆致には、そうした普遍の優しさが宿っている。

もしこの記事で興味を持ったら、ぜひ美術館やオンラインの高精細画像で彼の絵をじっくり眺めてほしい。画面の向こうからそっと差し出される一筋の光は、きっとあなたの今日という日を温めてくれるはずだ。

 
 

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