美術館で彼の作品を初めて見たとき、私は正直とまどいました。キャンバスに描かれているのは、いわゆる「きれいな絵」ではありません。麻袋が裂け、焦げ、縫い合わされ、黒く沈黙しています。それなのに、なぜか目が離せず、胸の奥がざわつくのです。
車椅子で生活している私にとって、日常はどうしても制限の多い世界になります。そんな中で出会ったアルベルト・ブッリの作品は、「欠けたもの」や「傷ついたもの」そのものが、表現になり得るのだと静かに教えてくれました。
派手な言葉はなく、説明も少ない。ただそこに在るだけで、見る側に問いを投げかけてくる。今日は、そんな画家アルベルト・ブッリの生い立ちと絵について、私なりの視点で書いてみたいと思います。
アルベルト・ブッリの生い立ちとは?

アルベルト・ブッリは、1915年にイタリア中部ウンブリア地方の小さな町チッタ・ディ・カステッロで生まれました。若い頃から美術の道に進んだわけではなく、彼はまず医師としての道を選びます。ローマ大学で医学を学び、軍医として第二次世界大戦に従軍しました。
しかし戦争は彼の人生を大きく変えます。北アフリカ戦線で捕虜となり、アメリカの捕虜収容所に送られたのです。そこで彼は医師として働くことを許されず、長い時間を何もせずに過ごすことになります。その空白の時間の中で、彼は絵を描き始めました。
収容所には十分な画材などありません。布切れや袋、あり合わせの材料を使って、彼はただ無心に手を動かしたといいます。ここで重要なのは、彼が「画家になろう」と決意したから描き始めたのではないという点です。
描かずにはいられなかった。その衝動こそが、後のブッリ作品の核になったように、私には感じられます。戦後イタリアに戻った彼は、医師の道を完全に捨て、画家として生きる決断をします。この選択は決して容易ではなかったはずですが、彼は一切の後戻りをしませんでした。
アルベルト・ブッリの絵とは?
ブッリの絵は、一目見ただけで強い印象を残します。絵具で描かれたイメージよりも、素材そのものが前面に出ているからです。代表的なシリーズに、麻袋を使った「サッキ」があります。
これは、コーヒー豆や穀物を入れていた古い袋をキャンバスに貼り付け、裂き、縫い合わせた作品です。そこには人物も風景もありません。それでも、袋に残る汚れや破れ、縫い目が、まるで人間の皮膚や傷跡のように見えてきます。
戦争を直接描くわけではないのに、戦後の荒廃や痛みが、素材を通してにじみ出てくるのです。また、彼はプラスチックを焼いた「コンブスティオーニ」や、木や鉄を使った作品にも取り組みました。
焼く、溶かす、壊すといった行為は、一見すると破壊的ですが、ブッリにとってそれは新しい形を生み出すための行為でした。私自身、身体の自由が思うようにきかず、「できないこと」に目が向きがちになります。
けれどブッリの作品を見ていると、壊れたものや使い古されたものにも、別の価値が宿るのだと気づかされます。
アルベルト・ブッリの絵の特徴とは?
アルベルト・ブッリの絵の最大の特徴は、描くことよりも「在らせること」に重点が置かれている点だと思います。彼は感情を大げさに表現しません。色も抑制され、構成も極めてシンプルです。その代わり、素材が持つ歴史や痕跡が、静かに語り始めます。
もう一つ重要なのは、彼が偶然性を完全には排除しなかったことです。燃やした跡、裂けた布の形、溶けたプラスチックの流れは、すべてコントロールしきれない部分を含んでいます。それでも彼は、その結果を受け入れ、作品として成立させました。
この姿勢は、私の日常ともどこか重なります。計画通りにいかない体調や、思い通りに動かない身体。そのすべてを否定するのではなく、今ある状態を引き受けること。ブッリの作品は、そんな生き方のヒントを、言葉ではなく沈黙で示してくれるように感じます。
最後に
アルベルト・ブッリは、決して分かりやすい画家ではありません。美術の知識がなくても楽しめる、というタイプの作品でもないでしょう。それでも、傷ついた素材や沈黙する画面の前に立つと、不思議と自分自身と向き合わされます。
私にとって彼の絵は、「欠けたままでいい」とそっと背中を押してくれる存在です。完璧でなくても、整っていなくても、人は表現できるし、生きていける。ブッリの作品が放つ静かな強さは、今も多くの人の心に届いているのだと思います。
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