静かな湖のほとりに立ち尽くし、霧に煙る森の奥に思いを馳せる。そんな感覚に心が包まれたことがあるだろうか? どこか懐かしく、そして少し切ない風景を、絵の中でそっと囁くように語りかけてくる画家がいる。
スウェーデンの象徴主義を代表する画家、ペール・エークストレム(Per Ekström)だ。私はある日、たまたま古本屋で手に取った画集の中で彼の作品に出会い、その静けさと深みのある風景に心を打たれた。
正直に言うと、彼の名前を知っていたわけではない。だけどその一枚の絵が、まるで記憶の底に沈んでいた夢の断片を引き上げてくれたような気がして、私はその場から動けなくなった。
そして「この画家はいったいどんな人だったのか?」と知りたくなり、調べるうちに、彼の人生そのものが一枚の風景画のように思えてきたのだ。
ペール・エークストレムの生い立ちとは?
ペール・エークストレムは1844年、スウェーデン南部のモーロンダルという町に生まれた。牧歌的で自然豊かな地域に育った彼の幼少期は、のちの作品の基盤ともなる自然との深い結びつきの中で育まれていった。
父親は手工業に携わる職人で、家計は豊かではなかったものの、自然と共にある暮らしの中で彼は、光と空気の微妙な変化に敏感な感性を育てていったと言われている。
彼は若くして芸術への関心を示し、スウェーデン王立美術アカデミーに進学した。だが、当時のスウェーデン美術界は保守的で、アカデミックな様式に縛られていた。ペールはそうした枠に馴染まず、パリへと渡って自由な表現を求めることになる。
そこで彼が出会ったのは、印象派の影響を受けながらも、より詩的で象徴的な表現を志す芸術家たちだった。彼の作風が「スウェーデン象徴主義」とも呼ばれる独特の雰囲気を持つようになったのは、この頃の体験が深く関係している。
ペール・エークストレムの絵とは?
ペール・エークストレムの絵を一言で表現するならば、それは「霧に包まれた風景の中にある心の詩」だ。彼の作品は、朝もやに沈む森、静かな湖面に映る空、落ち葉の匂いがただようような黄昏の丘など、一見するとただの風景画に思える。けれど、そこには明らかに“感情”が漂っているのだ。
私が特に心惹かれたのは、《秋の夕暮れ(Höstkväll)》という作品。夕焼けの赤が森をやさしく照らし、湖面がまるでため息のように静まり返っている。人影は一切なく、風すら止んでしまったかのような時間。
そこには「孤独」や「郷愁」というよりも、「包容」や「受容」のような静けさが感じられる。
また、彼の作品には一貫して「音」がない。ざわめきも騒がしさも排除されていて、絵を見ているとこちらの心の雑音までもがすっと消えていくような気がするのだ。これは、まるで禅の境地に近いような感覚で、他のどの画家にもなかなか真似できないものだと思う。
ペール・エークストレムの絵の特徴とは?
エークストレムの作品の最も大きな特徴は、光と空気の描写にある。それは単なる写実とは違う、感情を込めた「光の気配」とでも言うべきものだ。彼は、空が完全に青くなることもなければ、影が真っ黒になることも描かない。
すべてがグラデーションの中でゆっくりと移ろい、どこか“詠嘆のための沈黙”が宿っている。
色調はおおむね淡く、グレーや茶、オリーブグリーンなどが基調となっている。そのため派手さはまったくない。しかし、だからこそ目を凝らすごとに、わずかな色の変化や光のにじみに心が動かされるのだ。
また、構図にも特徴がある。中央に視線を集めるのではなく、視線が画面の奥へ奥へと引き込まれていくような遠近感を用いている。見る者を風景の“中に立たせる”ような構成で、画面の向こう側に物語が続いているような感覚がある。
そして忘れてはならないのが、彼の「静けさ」へのこだわりである。それは単に音がしないという意味ではなく、「心が動きを止める時間」を描こうとした意志だと私は思っている。
現代の喧騒の中で、彼の絵を前にすると、まるで一時的に時の流れが止まるような感覚を得ることができる。
最後に
ペール・エークストレムの絵は、決して派手ではないし、歴史的な事件を描いたものでもない。けれど、静かに、そして確かに、私たちの心の奥に触れてくる。彼の描いた霧や夕暮れや湖畔は、誰もが一度は夢に見たような風景であり、その中に佇むことで、忘れていた感情がよみがえる。
私は車椅子の生活をしているが、彼の絵を見るたびに、どこか遠くの森を散歩しているような気分になれる。動けないはずの身体の奥から、自由な風が吹いてくるような、そんな感覚すら覚えるのだ。
エークストレムの作品には、声高な主張も派手なテクニックもない。ただただ、静かにそこに“在る”。それはまるで、大自然の一部のように。そして私たちは、時にそんな「静かなるもの」にこそ、最も深い癒やしを感じるのではないだろうか。
彼の絵をまだ見たことがない方は、ぜひ一度、実物を目の前にしてみてほしい。画面越しでは決して伝わらない、“空気の重さ”を、きっと感じることができるだろう。
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